第15章: 隠遁
1941年· ババ 47歳ページ 2,195 / 5,444
数時間の眠りすら確保することは不可能だった。バーバーが得た唯一の休息は、自分の愛する者たちに仕えること──彼らを沐浴させ、髭を剃ってやり、食べ物を与え、足を揉み、体をマッサージし、彼らのあらゆる言葉と気まぐれに応じてやることだった!それこそが彼のあらゆる疲労を癒す霊薬であり、解毒剤だったのだ!」
この消耗しきった巡行の後でも、バーバーは休むどころか出かけて行き、ジャイプル市内のいくつものマストに接触した。彼はまた、いまだ男性マンダリの世話を受けていたチャッティ・ババとも作業を行った。また、バーバーがジャイプルに戻って落ち着いてまもなく、インドの追随者たちに郵送する以下の回状を発布した。
1941年2月15日、ラムナードで(私があの年老いた聖者にお会いした日)、私は次のことを決定しました。1
第一に、1941年8月1日に私の語る作業が始まる(自分自身に語りかける)ということ、
そして第二に、私の世界的顕現が1942年2月15日に完全な表現に至るということ、です。
現在の隠遁の方式は4月15日まで続けられます。1941年4月15日から1942年2月15日までの全期間、私の隠遁は絶対的なものとなります。(8月1日から2月15日までは、文字どおり誰一人として、私の最も親しい弟子たちでさえ私を見ることはありません。)この期間に、私は1942年の私の顕現に先立つ必須の頂点へと世界の出来事を導いてゆきます。それは世界の全般的調整の始まりを刻印[標]し、その後に続く霊的復興の展開をもたらすことになります。
私はノリナ、ナディーン、エリザベスをアメリカ合衆国へ、マーガレットとアイリーンをヨーロッパへ送り、そこで私のメッセージを広めることに決めました。4月末までにこの宣言は世界中に告知され、私の弟子たちは私が指定した場所で、最終の継続メッセージを直接届けることになります。
特別な命令を守るよう命じられているすべての者は、8月1日以降はそれらの命令に従う義務から解放され、[その後は]私との関わりの間ずっと守ってきた命令だけを守ることになります。しかし1942年1月1日から1942年2月15日までは、彼ら全員(さらには霊的進歩や啓明、ひいては自己実現の最高の体験を約束された者たちまで)、一日にミルク1シーア半(そのままで、あるいは紅茶やコーヒーに入れて、もしくはバターミルクにして)で断食することになります。それは好きな時間に好きなだけ飲んでよいものとします。紅茶やコーヒーは、純粋なミルクで、あるいはミルクと水で、または水のみで作ったものを飲むことができます。
脚注
- 1.バーバーがパッルコッラー・ババと実際に接触したのは、1941年2月14日であった。
