第15章: 隠遁
1940年· ババ 46歳ページ 2,134 / 5,444
パッパ・ジェサワラとカカ・バリアは1940年7月26日にアンカイへ遣わされていた。二人は丘の上の幾つかの洞窟を訪れた後、28日にメヘラバードへ戻った。二日後、バーバーは五人の男性 — パッパ、グスタジ、プリーダー、サヴァク、スワーミー・バーバーナンダ — を、バーバー自身のメヘラバードでの隠遁と重なる丸一年の間、アンカイの洞窟に滞在させるべく送り出した。グスタジはすでに沈黙を守っており、プリーダー、サヴァク、バーバーナンダにも沈黙を保つよう命じられた。パッパが彼らの代弁者となることになり、バーバーは皆にパッパに「従う」よう指示した。バーバーはパッパに、他の者たちをよく世話するよう指示した。
一行がアンカイへ出発する準備を整えている間、バーバーはパッパを真剣に励まして告げた。「山での貴方の苦行は、貴方の霊的な前進をもたらすでしょう。」
パッパや他の者たちの「霊的な前進」がいかにして遂げられたかは、ほどなく明らかとなる!
スワーミー・バーバーナンダはラーメシュワラムとパンダルプルへの巡礼を終えた後、バンガロールに留まり、その後マンダリと共にメヘラバードへやって来ていた。カレ、アディ・シニア、ガニ、ダトゥ・メヘンダルゲ、シドゥは依然としてバンガロールに住んでいた。ビラマンガラの建設工事が7月8日に停止して以降、パドリ、マサジ、ムルリはバンガロールへ戻っていた。1ナオロジ・ダダチャンジは、ボンベイの家族の元に戻っていた。カカ・バリアとチャンジは、ボンベイでメヘル・バーバーに関する出版物を配布していた。2チャガンはメヘラバードの狂人アシュラムを統括し、妻と娘と共にアラーンガオンのファミリー・クォーターに滞在していた。バイドゥルは丘の上のマスト・アシュラムを統括していた。ペンドゥ、セーラー、ホミ、ドン、ニルー、マサジ、クリシュナ、カレママ、その兄弟アンナサヘブ・カレ、ヴィシュヌ、そしてヴィシュヌの母カクバイは、皆下メヘラバードに滞在していた。マサジ、カレママ、アンナサヘブ・カレも8月1日から沈黙を守るよう命じられた。
1940年8月1日木曜日、バーバーはその日の郵便物を読んだ後、午後4時にメヘラバード・ヒルのマスト・アシュラムにて隠遁に入った。3彼はその日一日中、水だけで断食を行った。それ以後彼は、自分の幾人かのラヴァーズに指示していたのと同じように、一日一食のみを摂るようになった。郵便物や電報、伝言を持って彼の元へ行くヴィシュヌを除いては、誰一人(マンダリも含めて)バーバーに会うことを許されなかった。一切の書簡が止まったため、毎日届く手紙はほとんど五通か六通に過ぎなかった。
脚注
- 1.ガニは『メヘル・バーバー・ジャーナル』の編集を担当していた。7月末に彼が、自分は重い気管支炎を患い、パドリは腸チフス、ダトゥはリウマチ性の痛みと咳に苦しんでいるとバーバーへ知らせると、バーバーはこう返信した。「苦しみは祝福である。」
- 2.『エヴリマン』と『メヘル・バーバー・ジャーナル』に掲載された記事を再録した小冊子『メヘル・バーバー — その東西の弟子たちによる』が、最近バンガロールで印刷されていた。
- 3.その日はインドの国民的祝日であり、インド建国の父の一人ロークマーニャ・ティラクの命日を記念するものであった。
