第13章: ナシクとカンヌ
1938年· ババ 44歳ページ 1,954 / 5,444
しかし、この少数の人々には、アッシジの聖フランシスコのそれほどに稀な愛と信頼が必要です。彼のキリストへのその同じ愛をあなたの目標とし、彼が自分の師を愛したように私を愛しなさい。
デリアはこの手紙について多くの質問を書き、一九三八年十一月五日日曜日、バーバーは別の手紙で彼女に答えた。
あなたは私の言葉を誤解したのではありませんか。私には、ここであれどこであれ、弟子は必要ないというのは本当です。私は、選ばれた少数を選ぶことなく、人の胸を通して一人で自分の仕事を行うことができます。しかしこのアバターの時代に、イエスの時代と同じように、私は、遠い過去から私と共にあり、私を深く愛し、私が永遠の昔から愛してきた人々を、ここであれどこであれ、私と密接に接して生きるよう選びました。場所は問題ではありません。
それでもなお、このことは、私があなた方なしで自分の仕事を続けられると言う妨げにはなりません。全員が私を離れることもあり得ますが、仕事は続くでしょう。それは私にとってより困難なものとなり、十字架刑となるでしょう。しかしそれでも、愛の仕事が損なわれることはありません。何ものも神の仕事を止めることはできません。私自身の者たちが私を拒んだり失望させたりするなら、私はほかの媒介を通してその仕事を成し遂げなければなりません。
あなたは、手紙で何を言っていても、何ものもあなたや全人類を私から引き離すことはできないと知っています。なぜなら私はすべての中にいるからです。そして神が神自身から分け離されることなど、あり得るでしょうか。しかし、私がこれまで何度も説明してきたように、たとえば嗅覚や触覚よりも目や耳のほうが人にとって有用で必要であることがあるように、私の現在の仕事にとって、ある人々はほかの人々よりも必要なのです。私は今も、いつものように言います。キムコは私の胸であり、彼らがどこにいようとも永遠に私の胸であり続けるでしょう。そしてあなたは、身体にとって胸がどれほど価値あるものか知っています。
あなたの第三の点です。あなたは私が作ったとおりのあなたですか。あなたが持っているサンスカーラは、私の仕事のためにそれを乗り越えて働くよう、私があなたに与えたものです。ですから、あなたは私が作ったとおりであると言うのは本当です。しかし、二元性を通して完全性に到達するという目標は、あなたにも、すべての人にも、なお残っています。覚えていなさい。マーヤーは私の影です。ですから間接的には、それもまた私なのです。それは、魂が、神聖ではあるもののまだ自らの神性に無意識であるその魂が、神との一体性を意識するようにならなければならないための手段です。
