第12章: 映画プロジェクトとインドでの仕事
1936年· ババ 42歳ページ 1,697 / 5,444
5日の朝マイソールに到着し、一行はモダン・ホテルに投宿した。ほどなくして、女性マンダリが滞在するのに適したバンガローを探しに出た。ふさわしい一軒を見つけて借りると、バーバーは5日後にメヘラバードへ戻った。間もなくマイソールへの出発の準備が始まった。
1月22日、グルマイとその娘ピロジャがメヘラバードに呼ばれた。バーバーは当初、二人をメヘラバードに留めたいと望んでいたが、数日後にはクシュル・クォーターズに留まるよう告げた。24日、チャンジが日帰りで訪れ、バーバーは彼やヴィシュヌら数名と旅行の計画を話し合った。28日、マサジは電報で送られたバーバーの指示に反し、ナーシクから到着した。バーバーは激怒し、彼を直ちにナーシクへ送り返した。
1936年1月30日午前6時、バーバーはメヘラ、マニ、ナジャ、コルシェド、スーナマシ、ワル、インドゥ・スブニス(ワマンの娘)を伴ってバスでプーナへ発った。ヴィシュヌと一部のマンダリは、荷物を載せた別のバスで先に出発していた。チャンジ、チャガン、カレママ、バウサヘブ・メヘンダルゲ、バギラートは列車でプーナへ向かった。アディ・シニア、ペンドゥ、ジャルバイ、グスタジは、トゥカラムと共に新しいフォード車で向かった。1残りのマンダリはメヘラバードに留まった。
いつものとおり、男性マンダリは女性たちに近づくことを許されなかった。そのためプーナでは、バーバー自らが女性たちの荷物を列車最後尾の予約コンパートメントまで運んだ。一同はプーナを発ち、バーバーはチャンジとチャガンに、各停車駅で自分たちのコンパートメントを出てプラットホームに居るよう指示した。バーバーに何か必要が生じたとき、すぐに調達できるようにするためである。
31日の夜7時15分にマイソールへ到着した一行は、ヴァニ・ヴィラス・モハッラにあるB・ラマンナ氏所有のバンガローへ直行した。そのバンガローは後に不敬な口調で「バラ(頭痛)バンガロー」と呼ばれた。マイソール滞在中、男たちは近くのヴォンティコッパルにあるシュリー・カンタヤのバンガローに泊まった。アディ・シニア、ペンドゥ、ジャルバイは2日の夜遅くに到着した。4日、彼らはバーバーと共に有名なマイソール動物園を訪れた。ジャルバイはマイソールに留まる予定で、アディとペンドゥは5日に列車でメヘラバードへ戻った。
脚注
- 1.トゥカラム・カンブレはかつてメヘル・アシュラムにいた青年で、バーバーの導きのもと暮らし、ナーシクで運転手としての訓練を受けていた。学校出身の他の少年たちもバーバーとの繋がりを保ち、運転手となった者がいた。その中にはバウ・チマ、シャンカール、スベダールがいる。
