第12章: 映画プロジェクトとインドでの仕事
1935年· ババ 41歳ページ 1,662 / 5,444
帰り道、バーバーは運転手にグレタ・ガルボの家を三周するよう命じた。
数日後、メルセデスは数週間家を空け、戻ってみると、料理人が子羊のように従順で天使のように穏やかな人へと変わっているのを見いだした。これに困惑した彼女は、ついに何がこの変化をもたらしたのかを問いただした。料理人はこう説明した。「奥様には信じがたいことかもしれませんが、お留守の間、ある夜目を覚ますと部屋が光で満ちており、お茶にいらしたあのご導師が私の部屋にお入りになりました。私はベッドから起き上がってお触れし、誓って、その方のお召し物が確かに手に感じられたのです。理由は分かりませんが、それ以来、怒りを覚えたことが一度もないのです。」
フォルメラーの脚本の一つには、夫と妻が共に神-実現を達成するという話が書かれていた。1935年1月1日火曜日、バーバーは、このようなことは決して起こり得ないと指摘した。
彼は説明した。「結婚によって夫と妻として結ばれた二つの魂が、共に同時に〈実現〉に至ることは決してありません — 決してです。」
フォルメラーはバーバーに、なぜそうなのかを尋ねた。
バーバーは図を描きながら詳しく説いた。「生死の鎖の中では、双方の性別が同時に入れ替わるからです。すなわち、男性は女性となり、女性は男性となります。」
バーバーはこの点を示すために、男女の姿の変化を表す曲がった縦線を一本描いた。
「二つの魂は、〈実現〉に最も近いある特定の地点で互いに離れていくまで、幾世にもわたって性別を変えながら共に転生します。」
バーバーは結論づけた。「生命の秘密は、人間の心(マインド)にとって全く理解の及ばぬものです。だからこそ、それらはあるがままに明かされることはなく、さまざまな方法や形をとって現れるのです。
「真にして神聖な愛は、進化するものでも、世俗の愛から実現するものでもありません。両者はまったく異なるものなのです。人間的・世俗的な愛はその最高の姿をもってしても、神聖なる愛の初歩の段階にすら比べることができません。」
フォルメラーの脚本に言及して、バーバーは説明した。「アランとビクトリー〔脚本中の二人の登場人物〕は、その愛によって神-実現を得たり成し遂げたりすることはありません。なぜなら、神聖な愛と世俗の愛は両極にあるからです。ですから、私たちの物語の中で二人の強い恋愛的側面や愛を描けば、物語の真の根本原理あるいは主題を弱めてしまい、先に申し上げた理由から再び誤解を招くことになります。」
それからバーバー自身が、神-実現の場面をスクリーン上でいかに描くべきかの詳細をフォルメラーに口述し、登場人物の死後に映し出されるべき霊の舞と復活の場面についても指示を与えた。
彼ははっきりと述べた。「その場面は七つの異なる動きで構成され、七つの異なる音楽主題が伴い、背景には七つの異なる色が用いられます。」
マーガレット、クェンティン、その他の人々がこのための振付に取り組んでいた。
神智学運動に積極的に関わっていたある女性は、インドで長い年月を過ごしていた。彼女は1日にバーバーに会ったとき、いつかインドに戻ることがあるかどうかを尋ねた。
バーバーは、彼女が後年そうなるだろうと告げた上で、こう付け加えた。「真実を申せば、どこに住むかは重要ではありません。どう生きるかが大切なのです。山や洞窟で暮らしていても、心が世俗のマーヤーに囚われていれば、何の進歩もありません。他方、世間に暮らしながらすべての務めを果たす者でも、マーヤーに囚われずに〈道〉を思うならば、多くを成し遂げることができます。」
その女性は尋ねた。「アニー・ベサントにお会いになったことはございますか。」
「いいえ、しかし私は彼女を知っています。彼女は進歩した魂です。しかし霊性においては、頭ではなく胸(ハート)が大切なのです。知的議論があまりに多くなると、これら〔運動や組織〕が始められた目的そのものを損なってしまいます。」
バーバーと一行は、夕方になるとたいてい散歩に出かけた。ミンタは後にこう振り返ったことがある。「それは実に見事な夕焼けでした。けれども、それを楽しむことはできなかったのです。バーバーがあまりにも速く歩かれるので、私たちはついていくために走らねばなりませんでした。」
