第12章: 映画プロジェクトとインドでの仕事
1934年· ババ 40歳ページ 1,657 / 5,444
バーバーは彼らに、創造、転生、意識の境地、そして神-実現の主題を詳しく説明した。これらの内容はみな彼らにとってかなり目新しく、バーバーが望むかたちですべてを描き出すのは難しいと感じた。
バーバーはドレイクとクラフトの双方を気に入り、クラフトを「正直で誠実だ」と評した。当初、クラフトはバーバーに対して懐疑的だったが、最初の面会のあとは大いに動揺して帰っていった。彼はパスカルにこう語った。「あの人からはとてつもない力が放たれていた!」クラフトはバーバーに「ノー」と言うことができないと感じ、脚本の共同作業に加わることになった。映画のストーリーは別々に二本あった。一本はフォルメラーとクラフトによる『This Man David』、もう一本はフォルメラーによる『How It Happened』である。飛行機とその乗客にまつわる構想(『Perfection』)は、当面のあいだ棚上げとなった。
この映画の仕事のため、バーバーはジョセフ・フォン・シュテルンベルクをはじめ、各スタジオの多くの映画経営陣、監督、プロデューサー、マネージャーと会った。1制作の物質的な側面と霊的な主題を結びつけ、大衆が魅力を感じるような教育的かつ興味深い形に仕立てるのは難しいと判明した。関係者たちはみな純然たる仕事のためにメヘル・バーバーに会いに来たのだが、彼の神聖な人格と霊的な輝きに皆深く感銘を受けた。彼らはバーバーを自宅に招待し、バーバーはいくつかの招きに応じた。
バーバーはまた、パラマウント、ユニバーサル(1935年1月3日)、フォックス(1月4日)、ワーナー・ブラザーズの各スタジオを訪れ、フランス人歌手モーリス・シュヴァリエをはじめ多くの著名人に会い、女優アリス・フェイと写真撮影をした。フォックス・スタジオでは、オクラホマ出身のユーモア作家ウィル・ロジャーズがバーバーとガンディーや東洋哲学について数分間語り、もしインドを訪れる機会があれば会いに行くと述べた。2バーバーはハリウッドで何本かの映画も観たが、その一本がヴァイン・ストリート近くのハリウッド大通りにあるパンテージス劇場で上映されていた『Imitation of Life』であった。
バーバーが不在だったあいだ、マルコムとジーンは厳しい時期をくぐり抜け、経済的な困窮に耐えていた。ジーンはバーバーに、この時期は自分たちの忍耐力を試し、彼のために苦しみを耐え抜く力を養うためのものなのかと尋ねた。
「そうです」とバーバーは答えた。「あなたがたは、完全な落ち着きと内なる平静をもって、失望、批判、否定的な力に立ち向かえなければなりません。そして、つねに神の心に自らをゆだねなければなりません。」
それはバーバーにとって西洋で迎える初めてのクリスマスで、彼はハリウッドからイギリスのウィルとメアリー・バケットに宛てた次の手紙のなかで、映画プロジェクトのための資金集めの苛立ちを要約しつつ、その点に触れた。
脚注
- 1.カール・フォルメラーとフォン・シュテルンベルクは、アメリカに渡る前にドイツで一緒に仕事をしたことがあった。フォルメラーはまた、フォン・シュテルンベルク/マレーネ・ディートリッヒの映画『嘆きの天使』の脚本家の一人でもあった。フォン・シュテルンベルクは1932年にハリウッドでバーバーに会っていた。
- 2.ウィル・ロジャーズはついにインドを訪れる機会を得なかった。バーバーと会った八か月後、飛行機事故で亡くなった。「死去当時、ウィル・ロジャーズはあらゆるアメリカ人の中でもっとも愛された人物と見なされていた。1935年カリフォルニアで行われた彼の葬儀には、エイブラハム・リンカーンの死以来最大規模となる参列者(およそ15万人と推定される)が集まったとされる。」(ウィル・ロジャーズ・ランチ概要、カリフォルニア州立公園局)
