第12章: 映画プロジェクトとインドでの仕事
1934年· ババ 40歳ページ 1,618 / 5,444
たとえば、Aが私を極度に愛しているとは、彼が常に私以外のことを何も考えず、私に没入しているという意味です。同じくBが私に極度に反対しているということ、つまり私を憎んでいるということも、敵対的な感情を抱いてはいるものの、常に私を思い、私に没入しているという意味です。私は常に思考という媒体を用います。それは、その押しかけに容易に応じる資質次第なのです。
私が集団的に働く時は、たいてい演劇や映画、スポーツの試合といった、人々が集まって特定の対象に集中する場でのことですが、そうした場では彼らの心に集団的に霊的な影響を及ぼすことが容易なのです。
私が普遍的に働く時は、代理人たちを通して行います。私の心は普遍的ですので、すべての個人の心と、また私の代理人である進化した心とも結ばれています。それゆえ私は世界のあらゆる場所において代理人たちを通して現存し、働いているのです。それゆえ時に、私が一人の人と話している最中にも、私の心は別の場所で働いていることがあります。人々は、私が会話の途中で突然動きを止め、まるでその場にいないかのように別のことに没頭している姿を目にし、それに気づいてきました。
夜には、何人かの弟子を私のそばに座らせて足の裏を押させますが、それは彼らとの肉体的な触れ合いを得るためです。カカは[夜番の最中に]、何かの兆候や閃光を見て緊張し、夜中に突然床から起き上がることがありますが、それはまさに私が肉体を持たぬ霊たちと特別な働きをしている時です。(そのような霊は何十とおりますが、どの進化の段階にあろうとも、再び人間の姿を取らねばなりません。すべての魂の究極の目標は、無限なる御方と一つになることだからです。)これが、要するに私の働き方なのです。
第四、第五、第六、第七の意識の境地にあり、なおかつ私を意識している者たちだけが、自分が誰の下で誰のために肉体的に働いているのかを知っております。彼らは私を肉体的に見ることはできませんが、彼らの精妙の身体と精神の身体は、粗大の身体に似た私の精妙の身体を見ます……彼らはまた、私が無限なる御方と一つであることを知っております。
バーバーは例を挙げて言った。「私がここに座っている間にも、私の代理人たちはインドやペルシア、アフリカなどで働いています。まさにこの瞬間、彼らはそれぞれ異なる意識の境地において、同時に私の精妙の身体を見ています。彼らが送るメッセージは、何かを行おうという意志だけが存在する精神界を通じて送られるからです。それは瞬時に望みの場所へと届きます。
すると人々は再び質問し始めた。「彼らはどうやって代理人になるのでしょうか?」
「ほとんどは私との過去のつながりによるものです。過去世において私と結びついていた者たちが代理人となるのです。私と深く結びついている者たちはサークルの一員となります——しかし、すべては無限なる一者なのです。」
「あなたのサークルとは、どういう意味ですか?」
バーバーは答えた。「サークルとは、私と深く結びついた弟子たちのことです。彼らは今は無意識のうちに私と一つであり、私が彼らの見かけ上の無知の期間に行い得る働きを終えた時、未来には意識的にも私と一つとなるのです。それは私たちの間にヴェールがあるようなものです。彼らは私と一つでありますが、ヴェールの向こう側にいるため、それが見えないのです。愛と、愛する者と、愛しい方とが一つであるところでは、二元性の働きは終わるのです。ですから働きのために、この二元性と無知が存在しているのです。
「代理人たちは粗大界の人々のために働き、サークルを通じて私は霊的な領域のために働きますが、サークルの成員たちはそのことに気づいておりません。イエスもまた使徒たちが気づかぬうちに、彼らを通じて霊的な領域で働かれました。けれども後には、彼らもそのことを知るに至りました。彼らは、終始イエスが働いておられ、自分たちはその道具——媒体——であり、終始イエスと一つであったということを知ったのです。」
別の人が問いかけた。「科学と宗教は別個のものなのでしょうか?」
バーバーは答えた。「それはそれをどう理解し、どう活用するかにかかっております。科学が物質的な進歩だけを扱うのであれば、それは霊性とは関係がないと言われるでしょう。しかし、人生の意味を明らかにするために表現されるならば、それもまた霊性の一分野なのです。ちょうど芸術が、正しく表現されれば霊的なものとなり、誤って表現されれば物質的なものとなるのと同じです。」
