第12章: 映画プロジェクトとインドでの仕事
1934年· ババ 40歳ページ 1,604 / 5,444
バーバーは、サコリで自らの手でマンゴーの木に水をやったウパスニ・マハラジの例を挙げた。1
アランガオンでは、アッバジ・パテルという老村人が三、四日間死の床にあって、激しい苦痛に苛まれていた。五月四日、彼の親族たちはバーバーに老人の苦しみを和らげてほしいと頼みに来た。
バーバーは彼らを慰めて答えた。「彼は私に会うまでは死にません。私が明日参ります。」
しかしバーバーはその日忙しくなり、二日後の六日にアランガオンへ行った。バーバーは夕方六時に死にゆく男を見舞い、彼に茶を出すよう命じた。バーバーがメヘラバードに戻るやいなや、その男が亡くなったという知らせが届いた。
バーバーは五月九日にナシクへ一日だけ慌ただしい訪問をし、メモは十日午後三時半にバーバーに会うためメヘラバードに到着して数日滞在した。
セーラー・ママはサークル・シネマの隣で茶屋を営んでいた。十一日、バーバーが彼の経費に関して一定の制限を設けたため、セーラーは非常に怒った。アシュラム全般の財政をめぐる緊張した状況は、ベルリンのノリナから電報が届いて和らいだ。それは、ニューヨークにいるエリザベスの友人がバーバーの西洋への旅費と映画制作のために一万五千ドルを用意したという内容だった。
この期間、毎日午後か夕方になると、バーバーはラオサヘブが完全なる導師シャムセ・タブリーズのペルシア詩を約三十分間読み上げるのを聞き、その時間は誰も自分を妨げないようにと指示していた。バーバーはまた、深い情感や恍惚、そして美しいイメージを特徴とするルーミーの詩を聞くのも好んだ。
バーバーはかつてルーミーを神秘主義的・霊的文学全体の中で最も偉大な知性の一人と称賛し、こう述べた。「ルーミーは今日のすべてのパンディト[哲学者、学者、聖職者]を合わせたよりも頭脳が優れていました!」
あるときブアサヘブはバーバーに、愛しいお方の美しさを描写したルーミーの『ディーヴァーネ・シャムス』を読み聞かせていた。バーバーは入浴を終えたばかりで、メス・クォーターズに座って爪を切ってもらっていた。パドリはある瞬間、バーバーの胸が赤らみ、顔がピンク色になり、目が紅潮するのに気付いた。「バーバーは自らの美しさの陶酔を味わっておられ、その瞼は垂れ下がっておりました」とパドリは推察した。パドリはさらに、バーバーが粗大界に完全には「いらっしゃらない」と感じた稀な瞬間の一つだった、と付け加えた。
ラオサヘブの朗読を聞いた後、バーバーはマンダリと七つの石のゲームをするのが常だった。この人気のあるインドのゲームでは、七つの石や小さなタイルを一つずつ積み上げる。
脚注
- 1.カリンガドは噴水を造り、バーバーがそれを称賛した。バーバーが西洋から戻ったとき、カリンガドは庭の管理を任された。
