第12章: 映画プロジェクトとインドでの仕事
1934年· ババ 40歳ページ 1,588 / 5,444
バーバーの誕生日のためインドへ来るよう告げられていたノニー、ラノ、ルアノには、この時、来ないようにとの電報が打たれた。代わりに、バーバーがその祝典のためにマドラスへ行く予定だった。
1934年1月28日、フレイニ・マシが息子のケキと共に突然到着した。彼女は癌を患っており、自分の容態に落ち込んでいた。彼女はバーバーに、アシュラムに置いてもらいたいと懇願した。アディ・シニアが彼女らをクシュル・クォーターズへ送り届け、ナシクのダウラトマイにそのことが知らされた。戻る途中、アディはルシ・ポップの娘たち、シラ、ゴヘル、ケイティをメヘラバードに連れてきてバーバーに会わせた。翌日にはルシ・ポップ、サロッシュ、ヴィルーがやって来た。
バーバーは1月にアランガオンを何度も訪れ、いつものとおり村人たちの厄介な争いを調停した。また、そこでマルティ・パティルの新居の建設現場も訪れた。週に一度、バーバーはサロッシュ・シネマに映画を観に行った。
その月、メヘラバードでバーバーは毎日マンダリと共にクリケットの試合に加わった。しかし30日、流れてきたボールが胸に当たり、ニルが治療した。2月2日、バーバーは午後5時にクリケットを行った後、マンダリ11人と共にサロッシュ・シネマに行き、そこでスペンサー・トレイシーとベティ・デイヴィス主演の『20,000 Years in Sing Sing』(彼はこの作品を大いに気に入った)と、ファッティ・アーバックルの喜劇『Buzzin' Around』を観た。1
デニング博士という西洋人医師とその妻、インド人医師カラルカル博士、そして『タイムズ・オブ・インディア』紙の記者が1月27日にメヘラバードを訪れ、乳児に食事を提供する無料診療所のための寄付を求めた。バーバーは彼らの活動を支援するため毎月25ルピーを送ることに同意し、彼らはたいへん満足して帰っていった。
1934年2月3日土曜日、バーバーはアディ・シニア、ヴィシュヌ、ニルと共に、彼らの施設であるアメリカン・ミッション・ババ(児童)福祉協会を訪れた。バーバーは案内を受け、乳児たちが入浴させられ食事を与えられている様子を見た。バーバーは花輪をかけられ、子供たちと一緒に写真を撮られた。
その後、バーバーはルシ・ポップとコルシェドの家を訪れた。コルハープルのディクシットもその日バーバーに会った。翌日、ジャルバイが近くの村から若い踊り手を連れてきた。アディ・シニアがハーモニウムを、アディ・ジュニアがタブラを演奏する中、彼は見事に舞った。しかしバーバーは彼を留め置かず、彼を村まで送り返させた。
脚注
- 1.1931年のニューヨーク訪問の際、バーバーはシン・シン刑務所の外まで車で行くよう頼み、その所内に閉じ込められている自分のエージェントの一人と接触したと語った。
