第9章: 激動の旅
1929年· ババ 35歳ページ 1,119 / 5,444
ブアサヘブはひどく気を悪くしてその食事をとらず、チャンジも自分の分を捨ててしまった。今回はラオサヘブとブアサヘブはバーバーの痛烈な言葉のうずきを黙って耐えた。師が彼らの胸にもう一本の矢を放ち、マンダリの心はまた一つの打撃を受けた。
チャンジが書き留めたところによれば、1929年のバーバーのペルシア訪問には三つの主な特徴があった。
1929年のバーバーのペルシア訪問の主な特徴は、富める者も貧しき者も区別なく、至るところで彼が予期せぬ実に心からの歓迎を受けたことであった。人々は祖国の救いと解放が彼の手に委ねられているお方として、彼を崇拝し敬慕した。
第二に、彼と一行全員が経験した言葉に尽くせぬ苦難であった。広大な砂漠地帯を何マイルもバスで横断する旅の困難さによるもので、あらゆる種類の食料が乏しかったばかりか、何日も水すら手に入らないことがあった。一行が通過しなければならなかったルリスタンの最も危険な地域の一つには盗賊たちが横行しており、略奪されたり魂まで殺されたりする危険があったが、これはひとえに彼の恩寵とナザル[慈愛のまなざし]によって避けられたのである。
第三に、バーバーは国籍上ペルシア人ではあるがゾロアスター教徒に属しており、ムスリムであり概して狂信的なモグル人は、自分たちの宗教以外のいかなる宗教に対しても、敬意はおろか関心すらほとんど抱かない。彼らがバーバーに対して示す敬慕、信仰、崇拝は、それゆえいっそう貴重で評価に値するものである。さらにムスリムは、自分たちのブズルグ[聖者]や預言者ムハンマドの写真を持つこと自体を教義に反すると信じている。それなのに彼らがバーバーの写真ペンダントを愛しげに胸にとめていることは、信じがたい光景なのである。これらが彼らに見せられたわけではなかったのだが、(他宗教の)バーバーの帰依者たちの上着に留められているのを目にすると、これらムスリムの帰依者たちは自ら進んで求め、いやむしろ巡訪中にペルシアで(数千枚)が配布された際には、一つを手にしようと実際に争い合う者すらいたのである。
バーバーとマンダリは二日後、1929年11月16日土曜日の午前2時30分にナシクに到着した。ナヴァルとアディ・シニアがホームで彼らを出迎えた。
