第8章: 活動の終息
1929年· ババ 35歳ページ 1,073 / 5,444
一方のコップには少しばかりの塩が入っています。しかし、どちらがどちらなのか、どうやって知ることができるでしょうか?そのためには水を味わってみなければならず、そうしてはじめて違いを知ることができるのです。同様に、いわゆる聖者や導師と親しく過ごすことによって、誰が本物で誰が偽物かを知るようになるのです。
ある人が尋ねた——「では、聖者たちと共にあろうとする望みは、どうすれば得られるのでしょうか?」
バーバーは答えた——「ただ一つを除いてすべての欲望を断つことです——その一つとは、真の至福への渇望です。ですから、ただ至福を渇望することによってのみ、あなたは完全なる導師に出会う機会を得ることができ、そして先に申した通り、その御方のサハヴァス[親炙]、その御方との触れ合い、その御方への奉仕が、残りすべてを成し遂げてくれるでしょう。あなたは真の至福を得ることでしょう。」
別の人が尋ねた——「ですが、わたくしどもはその機会をどのようにして得るのでしょうか?私たち全員が神を念じ、真の至福への激しい渇望を抱けるわけではありません。」
バーバーは詳しく説明した——
当然のことながら、これはその人のサンスカーラに依ります。神を実現するためには、あらゆる存在が必ず通り抜けねばならない経験の道筋があります。神への想いも真の至福への望みもない普通の人が、博愛的な気質と貧しき者への憐れみから、何かを慈善として施すと仮定してみましょう。これは善き行いであり、その行いと苦しむ者たちへの慈しみによって、彼は内的に助けられ、前進していくのです。その優しく寛大な心がけによって、彼はさらに先へ先へと進み、ついには真の至福への望みが生まれる時が訪れます。至福への望みは、彼の内に自ずと生まれてくるのです。この望みは彼をサッドグルへと導き、こうして万物の根源に到達することにより、彼はついに至福を獲得できるようになります。しかし、真の至福への望みを生じさせ得るこの状態に至るまでには、彼は良きものも悪しきものも含む一連の経験を通り抜けねばなりません。
この点をさらに敷衍してバーバーは続けた——
実のところ、幸福と不幸、徳と悪徳、あるいは善と悪というようなものは存在しません。ただ至福のみが存在するのです!幸福、不幸、徳、悪徳、善、悪といった経験は、何ものでもありません。しかしそれらは、より高きものへ至る道筋において必要な踏み石であり、幻ではあっても、誰もが通り抜けねばならないのです。
ただサッドグルのみが、この「道筋」を変え、転じ、あるいは消し去ることがおできになります。つまり、その御方は人の運命の流れを変えることがおできになるのです。ひとたび人がそのような導師と接触すれば、これは自ずと起こるのです。
