それからバーバーはパールヴァティー(メヘラバードのらい者アシュラムの監督者)に、追加の罰としてナジャを竹で打つよう指示した。ベヘラムジもまた、自分の務めに対する「無関心」を責められ、叱責を受けた。
日ごとに増えるメヘラバードへの来訪者をもてなすため、竹と麻袋で作られた茶の屋台が二軒建てられた。アランガオンのシーターラーム・ブアがその一軒を切り盛りし、そこではココナッツや線香、樟脳、煎り米やひよこ豆などの乾物の軽食も売られていた。ラムバウ・マリは花輪を買い求めたい人々のために花の屋台を営んでいた。
ある日バーバーはシーターラームの茶店の開店祝いに訪れ、マンダリに茶を飲むように言った。しかしバーバーの一行は人数が多く、店内にも既に多くの客が座っていたため、マンダリ全員には茶が出せなかった。そこでバーバーは別の村人が営むもう一軒の茶店に向かい、そこで残りのマンダリは欠けた茶碗と受け皿に注がれた茶を一杯ずつ受け取った。みすぼらしい屋台の貧しい有り様にもかかわらず、バーバーは上機嫌で、堂々とそれらを「ラージ・マハル」と「タージ・マハル」のホテル(茶店)と名付けた。
先に述べたように、メヘラバードで新しい厨房が開かれた際、バーバーはその祝いとして竈の一つに火を灯した。だがこの行為には、当時表に現れていた以上に深い意味が込められていた。パンドバはバラモンであり、数日にわたって他のカーストの人々と食事を共にする許可をバーバーに求めていた。バーバーは常々パンドバに、バラモン以外の者と交わってはならないと定めた彼自身の宗教の戒律に従って行動するよう諭していた。12月12日、パンドバが再びバーバーの同意を求めると、今回は許しが下りた。
“”バーバーは彼に告げた。「あなたの責任は私自身が引き受けました。」
パンドバはヒンドゥー教徒の中で最初に、宗教の厳格な正統主義を捨て、バーバーが説き続けてきた一体性を全面的に受け入れた者であった。
1925年12月14日、バーバーは、神智学協会の会長であるアニー・ベサント博士が最近新聞紙上で発表した内容、すなわち自身の若き愛弟子J・クリシュナムルティを通してキリストに類する「新たなる世界教師」が到来するという声明について論評した。1 “”それはすべてでたらめです。ベサント夫人やクリシュナムルティを含む神智学者たちは、真理の気配さえ嗅いだことがありません。彼らは世界教師の霊がこの少年を媒体としてこの世に顕現するのだと言い、また、この芝居の主たる「黒幕」はヒマラヤのどこかにいるはずだと申しています。