第40章: 再び泣く時代
1968年· ババ 74歳ページ 5,365 / 5,444
その日、バスカルはバーバーに、自分の妻か母が拵えたイドリーとサンバル(南インドのカレー)を届けた。
ナリマン、アルナヴァズ、ケイティーは25日にボンベイからメヘラザードへ到着し、ジム・ミストリーは二日後の27日にやって来た。バル・ナトゥもメヘラザードにやって来て、一週間滞在した。
バーバーはジムとの軽口を楽しみ、戯れて言われた。「あなたのロディ[ロダ]はマスタニ(神に酔う女)になってしまいましたね!さあ、これからどうなさいますか?」
ジムは言った。「彼女があなたをそれほどまでに愛していることが、私には誇らしいのです!」
「彼女は結婚相手にもっとましな人を見つけられなかったのですか?」
「彼女が私を見つけたのは、まさに大変な幸運でした!彼女があなた様のためになさる働きの妨げに、私は決してなりません!」
問われると、ジムは妻の「マスタニのような」振る舞いの一例を語った。彼の話によれば、あるときボンベイのタクシー運転手全員がストライキに入っていた。そのことは広く知られており、誰もが承知していた。ロダはその日、バーバー・センターへ行く必要があり、いつも通りタクシー乗り場へと向かった。彼女は炎天下で四時間も待ったが、タクシーは一台もやって来なかった——普段なら五分おきに一台が停まる場所だった。センターへ行くことに心を奪われていた彼女は、ストライキのことをすっかり忘れていた。誰かが彼女を見つけてそのことを思い出させ、彼女は歩いて家に帰った。
バーバーは冗談を言われた。「彼女はいつかこの私のことまで忘れてしまうでしょう!」
それに対しジムも冗談まじりに答えた。「彼女があなた様を想うあまり私を忘れてしまうのなら、私は幸せです。」
バーバーは答えられた。「では今日、彼女に手紙を書いて、私が彼女のマスタニのような状態を喜んでいると伝えてください。」そこでジムはそのとおりにした。
1968年10月27日の日曜日、バーバーの最初期のマンダリの一人であるセイラー・ママが、78歳で糖尿病の合併症によりプーナで世を去った。セイラーはバーバーの少年時代からの友人の一人で、1915年12月にシルディのサイ・ババとサコリのウパスニ・マハラジに会いに行く際、バーバーに同行していた。セイラーとその家族は、1949年に新生活が始まるまで、ナシクとメヘラバードで暮らしていた。1
10月28日、チャガンがメヘラザードへ呼ばれ、メヘラの誕生祝いと、12月に行われるダラとアムリットの結婚式のための食事の用意について指示を受けた。29日には、アーンドラのコヴールに住んでいた故コドゥリ・クリシュナ・ラオの息子コドゥリ・プラサドが、家族とともにバーバーに会うためメヘラザードへやって来た。コドゥリ・クリシュナ・ラオの逝去により、彼の妻は深い悲しみに沈んでいた。
バーバーは彼女を慰めて言われた。「コドゥリ・ラオは何と幸いな者であったことでしょう!彼は私のためにメヘルスターンを築き上げました。その姿は、その敷居の上に永遠に生き続けるでしょう。私のダルシャンを受けにメヘルスターンを訪れる者たちは、まずコドゥリ・クリシュナ・ラオの姿を目にすることになるでしょう。彼は不滅となったのです。」
バーバーの言葉はその家族にとって甘やかな慰めとなり、彼らは半時間ののち、幸せな気持ちで辞去した。
脚注
- 1.セイラーはバーバーが下メヘラバードに埋葬を許した者たちの一人だったが、彼の墓はそこにはない。
