第34章: 完全な隠遁
1959年· ババ 65歳ページ 4,555 / 5,444
毎朝、エルチは新聞記事から選んだ悲劇的なものや滑稽なものの一節を読み聞かせていた。バーバーはまた時折、マンダリ[側近弟子たち]に物語や冗談や歌で自分を楽しませるよう求めた。ある日、バイドゥルは一度も行ったことがないにもかかわらず、ニューヨーク市について英語で講義し、皆を喜ばせた。
1959年6月20日土曜日、バーバーは無限の知識について講話し、その中で次のように述べた。
「個人としてのあなた方がこの瞬間に知っていることを、私は幾世代も前に知っていました。そして来たる時代に個人としてのあなた方がある特定の瞬間に知ることを、私は今知っています。」
六月中、彼はまた「神聖な応答」について次の講話をした。
あなた方が神を愛するよりも理解しようとする瞬間、あなた方は神を誤解し始め、あなた方の無知がエゴを養います。心は、それを超えたものに到達することはできません。神は無限であり、心の届かない彼方にあります。
この無限の幻影を生み出した神聖なる意志は、私を通してそのすべての純粋さにおいて自らを表し、私を通して働き、あなた方を幻影から神意識へ向けさせます。
私は一瞬一瞬、全創造に応答しています。私の応答は神聖な応答であるため、完全に、そしてまったく愛の応答です。その一つの応答の多くの側面があなた方に見えるのは、あなた方の多くの鏡を持つ心が映し出す反映にすぎません。あなた方は自分の理解の水準から私の行為を見て判断し、自分の限られた価値基準に照らしてそれらを区別しようとします。したがって、異なる人々に対する私の応答のさまざまな色合いを、あなた方が誤って解釈することもあり得ます。無限である私は、すべての意識の水準に同時にいます。したがって、私の応答において、私はその人の印象[サンスカーラ]、あるいはその印象が生じさせる異なる意識状態に照らしてのみ、ある人と別の人を区別します。私の一つ一つの行為は、さまざまな意識の境地にいる受け手の必要に応じて、多様な応答として識別されます。そのため、その本質と大きさゆえに、私の神聖な応答は時に謎めいて見えます。
あなた方の限られた心で私の行為の意味を理解しようとしてはならず、またそれを真似ようとしてもなりません。あなた方は私がすることをしてはならず、私があなた方にせよと言うことをしなければなりません。私の一つ一つの行為をあなた方の理解の範囲内に収めようとすることは、ただ自分自身の理解の限界を理解することにすぎません!
