第33章: 1958年西洋サハヴァス
1958年· ババ 64歳ページ 4,419 / 5,444
フランシス・ブラバゾンは、バーバーがオーストラリアでサハヴァスを開く計画であると聞くやいなや、それを開催するのにふさわしい場所を探しはじめた。彼はセンターを置くのに都市は最適な場所ではないと考え、シドニー西方のブルー・マウンテンズから、アーミデール近くのニューイングランド高原まで、遠方各地を車で広く回った。そんな中、1958年1月11日、マニはオーストラリアの人々に次のような手紙を送った。
アメリカでと同様に、バーバーはオーストラリアでもただ一か所においてのみ、サハヴァスを授けられます。バーバーは、できる限りすべての方々の愛のこもった自発的な協力と助力を得たうえで、サハヴァスの準備をフランシスにお任せになります。バーバーは主要な点をお示しになり、細部については皆様にお任せになります。サハヴァスの場所については、バーバーは第一にクイーンズランドを、第二にビーコン・ヒルを優先しておられます。6月の気候が良好で、財政、利便性、気候、皆のための宿泊施設など、あらゆる面で現実的であるなら、バーバーはクイーンズランドを望んでおられます。しかし、皆様はこれに縛られていると感じる必要はありません。上記の諸点に照らしてクイーンズランドが現実的でないと判明した場合は、その案は取りやめ、関係するすべての方々のためにビーコン・ヒルで手配をなさってください。クイーンズランドが現実的と判明すれば、それは理想的でありましょう——バーバーがそのご臨在によってオーストラリアのさらに別の地域をも祝福してくださることになるからです。バーバーは、どちらに決まったかをフランシスからお知らせいただくよう望んでおられます……。
これはまったくの意外な知らせであった。フランシスも、オーストラリアのバーバー・グループの誰一人として、クイーンズランドとは何の縁もなく、それまで訪れたことすらなかった。しかしフランシスは、6月から始まるオーストラリアの冬の間のサハヴァスにバーバーがより暖かい気候を好まれるであろうことを知っていた。そしてバーバーが「希望」を示された以上、時間は限られていても、それを実現するためにできる限りのことをすべて行おうと決意した。
手紙を受け取って一週間と経たぬうちに、フランシスはタンボリン・マウンテンやブデリムを含むクイーンズランドの丘陵地帯を車で巡っていた。ついに彼はキール・マウンテンにある荒れ果てた82エーカーのパイナップル農園に行き当たった。そこは88年前に、ドイツ・ルター派宣教師の子孫であるハインリヒ・キールが始めた農園であった。その場所はブリスベンの北方75マイルに位置していた。フランシスは、まさにその場所を見つけ出したと感じた。フランシスは詳細な説明を電報でバーバーに送った。
バーバーはその地点は「実に申し分ない」と返電なさった。
