1958年西洋サハヴァス

1958ページ 4,392 / 5,444第33章 / 40
最後に、「愛する者と最愛なる御方」についてのこの講話が読み上げられました: 最愛なる神はすべての中にいます。では愛する者の義務は何でしょうか?それは自分を惜しまず最愛なる御方を幸せにすることです。自分自身の幸福について二度考えることなく、愛する者は最愛なる御方の喜びを求めるべきです。神の愛者が持つべき唯一の思いは、最愛なる御方を幸せにすることです。 このように、自分の幸福について考えることをやめ、他者に幸福を与えるなら、あなたは確かに神の愛者の役割を果たすことになります。なぜなら最愛なる神はすべての中にいるからです。 しかし、他者に幸福を与えながら、自分についてわずかでも考えがあるなら、それは愛ではなく情愛です。これは他者を幸せにしながら自己のための幸福を求める傾向があります。例えば:第一に、夫の妻への情愛。夫は妻に幸福を与えたいと思いますが、そうしながら自分の幸福のことも考えます。第二に、母の子への情愛。この情愛から、母は純粋に子に幸福を与え求めることから幸福を得ます。 バーバーはコメントしました。「あなたは個別化された大海です。」彼は持っていた帽子のつばを指さしてこう言いました: この帽子をあなただと想像してください。あなたはこの粗大な世界を見ます【箱を指さし】。そして聖者の助けを得て、後ろに飛び、精妙な世界を経験し始めます【箱を帽子の後ろに置き、ノートを指さして】。再び別の聖者の助けを得て、精妙界でも粗大界でもなく、メンタル界を見ます。 しかしパーフェクト・マスターは何をするでしょうか?彼は自己を完全に回転させ、完全な回り道をさせ、自己は消えます。自己は去り、神が残ります。 問題は、いかにして個性が保たれるかです。個性の刻印が残ります。「我は神なり」と言うために残されるのです。そして「ベリルは神である」。イエスは「我は神なり」と言いました。この刻印、または印は残ります。それはまだ真の個性です。 覚えておいてください、真の自己は内にあります。パーフェクト・マスターに助けられた時、真の自己は取り除かれ、残る刻印が本来の個性です。それが私が説明できる、あるいはあなたの理解に触れることができる限界です。真の自己は取り除かれ、真の個性が刻印として残ります。
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