第32章: 1958年メヘラバード・サハヴァス
1958年· ババ 64歳ページ 4,347 / 5,444
それにもかかわらず、1958年5月4日日曜日、プーナの一行の一部がバジャンを歌うなか、バーバーはグルプラサードのベランダでダルシャンを与えた。グルプラサードの所有者であるバローダのマハラニ・シャンタデーヴィー(44歳)を含め、多くの人々がその機会を活かしたが、彼女はその日初めてバーバーのダルシャンを受けた。しばらくの間、彼女はバーバーの椅子のそばに座っていた。クルンドワドのラニ、マイサヘブ・シターバイ・パトワルダン(57歳)もたまたまダルシャンを受けにやって来た。1皆ダルシャンを受けた後は留まらずに去るはずであったが、ダルシャンが行われている最中、デシュムクはクルンドワドのラニの息子(現マハラジャ)を連れて来て、バーバーのそばに座らせた。バーバーはそれを快く思わず、その場にいた最も貧しいラヴァー(愛する者)四人に自分のそばに座るよう求めた。
マハラニ・シャンタデーヴィーはバーバーに深い感銘を受け、胸の内でバーバーの大義に忠実であり続けた。バーバーは彼女をしばらく自分のそばに座らせ、少し言葉を交わした後、シャンタデーヴィーに退出するよう告げた。それ以来、彼女はしばしばバーバーのもとを訪れるようになり、毎年グルプラサードをバーバーに使えるよう提供した。
一方、アーンドラのコドゥリ・クリシュナ・ラオは、ボンベイの彫刻家B・タリムにバーバーの青銅像を依頼していた。この像は、彼がコッヴールに建設中であった、バーバーに捧げる寺院のためのものであった。アディはコッヴール寺院の計画に関わっており、像の進捗を見るため定期的にボンベイへ赴いていた。彼はまたタリムと書簡を交わしており、ある手紙でその彫刻家はバーバーの足の型を取ってはどうかと提案した。アディはそれを素晴らしい考えだと思い、その手紙をマハバレシュワルへ転送し、そこでバーバーに読み上げられた。1932年にイギリスでバーバーの右手の型が取られたことがあったので、バーバーはこれにも同意された。彼はグルプラサードへ行った折に、タリムが来る日取りを決めると言われた。
バーバーがダルシャンを与えているさなかの4日、その目的のためにタリムの息子であり助手でもあるハリシュが到着した。それでもバーバーは彼に作業を進めることを許され、足にかぶせた石膏型が固まる間、グルプラサードのベランダに半時間ほど辛抱強く座っておられた。
彼はこう言われた。「私の境遇をご覧ください。私にとってまたしても十字架刑です。」
あいにくその日、バーバーの足はむくんでおり、そのため出来上がった足の型は実際より大きく見える。バーバーの足は晩年に至るまで普段は細く美しかったからである。しかしその型は、神なる人(ゴッド・マン)が私たちのために人間の姿で降臨される際に味わう肉体的苦しみの証となっている。2
脚注
- 1.クルンドワドのラニは1940年代にバーバーに会ったことがあり、バーバーもかつてコルハープル近郊にある彼女の宮殿を訪ねたことがあった。
- 2.タリムの息子はバーバーの手のひらの型も取ったが、これはうまくいかなかったようである。
