第21章: マノナッシュ
1951年· ババ 57歳ページ 3,006 / 5,444
1951年8月16日火曜日、当時国内が不穏な状態にあったため、これらの指示がインド全土のバーバーの愛する者たちへ送られた。
1951年10月16日にバーバーが実行に移さねばならない、神に定められた歩みを考慮して、バーバーはあなた方に次のことを理解し、実行してほしいのです。
1) バーバーは政治に一切関わったことがなく、今後も関わりません。したがって、あなた方の誰かが政治活動をする場合、その仕事にバーバーを巻き込んだり、その仕事に関連してバーバーの名を用いたりすることは決してしてはなりません。
2) バーバーは、旧生活のすべての追随者が利己的な目的を追い求める誘惑に負けないことを望んでいます。
3) バーバーは、旧生活のすべての追随者と、新生活のすべての友、兄弟、姉妹、しもべたちが、その胸に神への愛の光を灯すことを望んでいます。
これらの準備がハイデラバードで進められていたころ、ガニ博士はプーナで心臓発作を起こし、翌日の1951年8月20日午後7時、57歳で亡くなった。ガニは死の時、酸素吸入を受け意識もなかったが、その危篤状態の中でも息を引き取るまで絶えずバーバーの名をつぶやいていた。アディはただちにバーバーへ電報を打ち、翌朝ラムジューとともにガニの葬儀のためプーナへ車で向かった。サロシュ、ナリマン、メヘルジーも参列し、ガニがメヘル・バーバーの御足へ導くうえで大きな役割を果たしたプーナの親しい愛する者たちも数多く参列した。1
バーバーは8月20日の朝、クリケットの試合を見に出かけていた。
彼は22日にアディへ電報を打った。「ガニは肉体的には去りましたが、私をありのままに見るまでは、私を安らかに生かしてはくれないでしょう。」
バーバーはアディ、サロシュ、ラムジューに、ガニの妻が一家の諸事を整理するのを助けるよう指示した。
24日、バーバーは幼なじみに次の感動的な追悼の言葉を捧げた。
この新生活で私が放棄し、耐えねばならなかった多くのことの中でも、ガニの逝去は最大のものの一つです。旧生活で私の弟子であり、いつの時代も私の愛する者であったインドと西洋の男女すべてが去るたびに、私は喪失感を覚えてきました。しかし、ガニがこのように突然私から引き裂かれたことは私にとって災厄であり、新生活の成就がこれほど間近な時に起こったため、なおさら残酷です。
私にとって、あなた方の誰にとってよりも、ガニは唯一無二でした。そして、なお他の人々が私のために成し遂げねばならない仕事の中には、ガニだけが私のためにでき、他の誰にもできなかったことが数多くあります。
脚注
- 1.ガニの遺体は、彼の家族の故郷ロナヴラのライウッド・パーク近くの墓地に、標識のない墓として埋葬された。ガニの遺体がプーナの自宅から運び出される前、家の向かいの通りで、たいへん印象的なヨギまたはサードゥが燃える松明を手にして立っているのが目撃された。彼は建物を見上げ、「神を愛する者たちは常に試練と困難を受ける」と言ったのが聞かれた。
