第17章: 会合とダルシャン
1944年· ババ 50歳ページ 2,416 / 5,444
1944年3月に発行された回覧によると、200名の署名者がバーバーと一ヶ月間共に過ごすことに伴う問題を解決するため、6月に会合が開かれた。遠方からの愛する者たちは1944年6月9日金曜日に到着し、メヘラバードに滞在した。翌日10日午後3時にアフマドナガルのクシュルー・クォーターズで開かれた会合には、24名の男性が出席した。1会合でバーバーは次のように述べた:
私の最新の回覧で言及したいくつかの点を議論し決定するため、私のマンダリの選ばれた皆さん方をお呼びしました。これらすべての点は、戦争前、あるいは戦争が始まって間もない頃に、容易に解決し実行に移すことができたのであります。しかしながら、戦争が進むにつれてまさにこれらの問題はますます解決しにくくなると承知しておりましたから、私はこれを延期し続けてまいりました。これらの問題が最も解決困難なものでなければ、私の仕事は完璧になし得ないのであります。今こそ、その仕事がなされなければならない時が来ました。
会合の中で、バーバーは9月にナーグプル、10月にアラハーバードをダルシャン・プログラムのために訪れ、署名者たちは12月にライプルで一ヶ月間バーバーと共に過ごすことが決定された。イラン行きのビザ取得が困難であったため、1944年の終わりまでに、バーバーはその代わりに自身の霊的な仕事のためにペシャワールの「無人地帯」を訪れることが決定された。
それからバーバーはチャンジの方を向き、出席者たちの前でこうおっしゃった。「あなたはアフマドナガルとアラハーバードのプログラムに出席できますよ ― 生きていればの話ですが!」
チャンジは「バーバーはいつもこのように私を冗談のネタになさいます」と言った。一同はくすくすと笑い、軽く受け流した。しかし今回、バーバーは冗談を言っていたのではなかった。チャンジはジャル・ケラワラの助けを得て、準備のためナーグプルとライプルへ派遣された。
会合は午後7時に終わり、皆はメヘラバードへ戻った。バーバーはピンパルガオンに滞在していたが、翌日、自分の愛する者たちに会うためにメヘラバードへ行った。皆は12日にそれぞれの場所へ戻った。
サイイド・サヘブは初期のマンダリの一員で、1920年にメヘル・バーバーという名前を提案した人物であった。彼はその会合には出席していなかったが、6月13日にバーバーに会うためナシクからやって来て、メヘラバードに二日間滞在した。
チャンジはアフマドナガルに戻り、28日にメヘラザードでバーバーに報告した。彼はナーグプルとチンドワラ地区の別荘を見て回ったが、バーバーはライプルの方を好んだ。チャンジは列車の予約をするためボンベイへ派遣された。
脚注
- 1.会合に出席した者は次の通りである。アディ・シニア、ババダス、チャンジ、デーシュムク、ダケ、ガデカル、ガニ、ホミ・バテナ、ジャル・ケラワラ、ジャムシェド・デサイ、ジャムシェド・イラニ、カイコバード、カカ・バリア、マネカル、マネク・メータ、メヘルジー・ママ・サタ、パンドバ、パパ・ジェサワラ、ペンドゥ、ポファリ、ラムジュー、サダシブ・パティル、サロシュ、ヴィブティ。
