第12章: 映画プロジェクトとインドでの仕事
1935年· ババ 41歳ページ 1,677 / 5,444
二日のみの滞在の間、バーバーはアラマイ・カトラク、メヘルバイ・マーチャント、ルーパマイとホルムスジ、カイコバード、コトワル一家、カルメン・マシ、ダドゥ、プリーダー、そしてチャンジの妹メヘラ・ジョシとその夫ルシなど、数名の親しい愛する者たちを訪ねた。さらに彼はパレルへ行って義姉のビッグ・コルシェドに会い、プーナからボンベイへ移ってきたパドリの母フレイニ・マシも訪ねた。
バーバーはまた、チャンジがバーバーのことを伝えていたウェリントンという外国人の夫妻も訪ねた。夫妻はある困難に直面していたが、バーバーは六か月後には状況がよくなると安心させた。バーバーは5月4日午後7時にボンベイを発ち、その夜遅くにナシクへ到着した。
1935年5月9日木曜日、バーバーは男女のマンダリを伴い、住まいを再びメヘラバードへ移した。12日、バーバーはチャンジに対し、ノリナへ電報を打ってルストムをインドへ呼び戻すよう指示した。暑さから少しでも逃れるため、バーバーは15日に日帰りでマンダリをハッピー・ヴァレーへ連れて行った。バーバーは寛ぎ、当時の世界政治情勢について語った。ユゼフ・ピウスツキというポーランドの指導者が最近亡くなっており、バーバーは彼が非常に誠実な人物であったと述べた。
メヘラバードでバーバーは、自身の隠遁について話し合うため会合を開いた。バーバーは隠遁の仕事のためどこかへ行くことを望んでいたが、その場所は誰にも秘密にしていた。5月17日、彼はペンドゥとパドリに、自分の不在中のメヘラバードの運営について詳細な指示を与えた。
19日、彼は皆にこう告げた。「私は今、これから七か月間インドにとどまることを決めました。5月23日にナシクへ行き、そこに十日間滞在します。それから約三日間、ボンベイにおります。それ以降の私の行動は秘密にしておきます。
「あなた方は、あらゆる面で厳しい生活を送り、ありとあらゆる試練に堪えながら、長年私と共に過ごしてきました。ですからあと一年、私と私の仕事を助けてください。もしかすると、私は沈黙を破るかもしれません。しかし何が起ころうとも、男たちは皆ここに残り、与えられた任務を慎重に果たしてください。」
その後バーバーは、グスタジとラオサヘブと別々に旅の手配について話し合い、二人が彼の旅に同行することを明かした。バーバーはまた、誰にも目的地を悟られないよう注意しつつ、ポンディシェリ、ゴア、ニルギリ・ヒルズ、カシミール、ダージリン、アジメール、ウダイプルにある他の適切な隠遁の場所を調べるよう、チャンジに頼んだ。チャガンにも指示が下された。
厳重な秘密のうちにチャンジが誠実かつ絶え間なく問い合わせを行ったにもかかわらず、彼はこう記した——「バーバーはいつも、そこにないまさにそのもの〔情報〕——見落としで抜けたか、あるいは故意に不要と判断されて省かれたもの——を、必ずや求め、欲しがられた。これが、内に根づいた弱さを引き出すための彼の訓練であり、その方法であった。」
