第10章: 歌い始めた西洋
1931年· ババ 37歳ページ 1,318 / 5,444
「多くの[霊的教師たち]がインドからアメリカに来ましたが、何もしませんでした。[ここの雰囲気を明るくするために]何かをなさった方は、私の知るかぎり、あなたお一人です。私はそれを感じています。理解しています。私はあなたから流れ出る力を感じています。ここでは途方もない力が働いており、何か恐ろしいことが近づいています。誰も、あなたが誰で、何のためにここにいて、何をしておられるのかを知りません。しかし私は知っています。私を助けてくださり、本当にありがとうございます。私はいつでも、あなたへの奉仕に働く用意ができています。」
批評家、講演者、ラジオ・パーソナリティであったエドガー・ホワイト・バーリルが十八日にハーモンへ来た。舞台女優アンナ・コスタント、五十七歳の小説家兼劇作家ゾナ・ゲイルも同じく来訪した。1
導師と生涯にわたる接触を持つことになるもう一人の著名人は、レフ・トルストイ伯爵(『戦争と平和』のロシア人作家)の義理の娘ナディア・トルストイであった。四十八歳のナディアは、夫イリヤとともにその地域に住んでいた。彼女はペトログラード大学で音楽を学び、数か国語を話すロシア亡命者であった。神秘文学と秘教哲学に関心を持っていたナディアは、真理を求める誠実な探求者であった。しかし本を読むだけでは満足できず、生きた導師を探していた。
友人のマルコムとジーンがメヘル・バーバーの訪問について手紙で知らせると、ナディアは一九三一年十一月十九日木曜日、マルタ・ヘンチェルという友人とともに、彼のダルシャンのためハーモンへ来た。2ナディアはバーバーを一目見るや、「私の探求は終わりました!」と叫んだ。
ナディア・トルストイは後に、バーバーからナディンという愛称を付けられた。3以下は彼女の最初の出会いについての記録である。
彼の二階の部屋へ続く階段を上りながら、私は「オーム」と唱えていたことを覚えている。私は部屋に入った。部屋の向こう側の長椅子に横たわっていたのは、あの神秘的で、長く待ち望まれていた存在、神聖な謎、真実の御方だった!
簡素で、軽やかで、細く、小さく、きらめき、若々しく、とても気取りがない。しかし不思議なほど神秘的で澄んでいた。彼はほとんど少年のように見えたが、その眼差しは高く遠いところから注がれるようで、計り知れないほど深く、それでいて輝く目には純粋な光の微笑みがあった。貫き入ることのできない、非人格的な透明性、純粋さ!
彼は私に、何かを、誰かを思い出させた。私はそれを遠いところで知っていたが、その姿を捉えることはできなかった。まるで彼が私の内なる記憶に挑みかけているように感じた。彼の姿勢と雰囲気全体が、「思い出せませんか。過去からの私を覚えていませんか」と求めていた。
脚注
- 1.ゾナ・ゲイルは、演劇部門でピューリッツァー賞を受賞した最初の女性であった。
- 2.一九三〇年、ナディンと夫はシティ・カレッジのキャンパスに住んでおり、ロビンソン学長の家から道を少し下ったところだった。そのため、彼女はロビンソン夫妻も知っていた可能性が高い。マルタ・ヘンチェルは若いドイツ系移民の看護師であった。
- 3.バーバーはナディアがインドに来たとき、彼の従姉妹ナジャと区別するために、彼女の名をナディンに変えた。
