第1章: 涙を流す時代
1894年以前ページ 1 / 5,444
闇だ!闇だ!闇が四方八方へ広がっている!
19世紀が終わりに近づくにつれ、闇は光の勢力を追い払っている。個々人の心は頑なに固まり、うぬぼれたエゴは高くそびえている。人類の心は目覚めているが、胸は眠っている。
なんという衰退が起きてしまったのか!時代はなんと哀れな境遇にあるのか!闇はなんという苦しみをもたらしたのか!意識の進化は立ち止まってしまった。アバターの介入なしには、これ以上の前進は不可能である。
時代は自らの悲劇的な境遇を嘆いて泣いている。悲しみに打ちひしがれ、混乱している。絶えず神に呼びかけながら、自らの不運を嘆いている。その涙は、神に救いを懇願している。迫り来る闇の中で、その目の光は薄れていく。それは無知という漆黒の夜を手探りで進んでいる。ただただ無力と疲弊の中で泣いている。
絶望に閉じ込められた時代は、その涙が流れるたびに、また拭い去られてきたことを忘れてしまった。盲目の者には常に太古の御方の杖があり、足なえの者にはその御肩がある。闇が光を追い払うたびに、再び姿をとって人の涙をぬぐってくださると、太古の御方はどの時代にも約束してこられたのではないか。
だが、闇の雲に目をくらまされ、弱り果て、慰めを失っている時代が、どうしてこれを思い出せるだろうか。もし時代が太古の御方の約束を思い出していれば、その重荷を担う力を持てただろう。だが今回は、その苦しみはあまりにも大きく、試練と困難はこれまでのどの時よりもはるかに激しい。時代はもはや耐えられない。
それでも、この時代の騒乱は神に隠されてはいない。それは神の遊戯である。闇と光との永遠の闘いにおいて、闇が勝利しているように見える。しかし、その見かけの勝利は、かえって自らの敗北をもたらす。闇(無知)に自らを勝者だと思い込ませることこそ、光(知識)の遊戯である。ひとすじの光でさえ最も深い闇を呑み込めるというのに、その光輝の前で、この闇が何だというのか。
だが、取り乱し意気をくじかれた時代の忍耐は尽きてしまった。それは苦悶の中ですすり泣く。時代はどうして神に助けを求めることができるだろうか。その声はあまりにも弱い。時代は限られた存在であり、宇宙の果てしない働きについて何も知らない。この務めは、ただ五人の完全なる導師たちだけに託されている。助けることができるのは、ただ彼らだけである。神ご自身を人間の姿へともたらすことができるのも、ただ彼らだけである。
哀れな時代よ!その涙の海は、いつまで続くのだろうか。
脚注
- 1.編集者注: バウは『ロード・メヘル』全体を通じて、「時代」という登場人物を挿入している。これはギリシア悲劇のコロスに似た語り手であり、現在の時代(カリ・ユガ)を事実上の語り手として表し、バーバーの生涯を詩的に回想し、解説するための手法である。
